この世になくてはならぬもの

市場競争はすべてを解決するという考え方がある。 市場の原理は不経済な商品や競争力を失った会社を次々に淘汰あい市場から抹消する。 タイプライター、そろばん、電卓はコンピューターに置き換えられた。 効率の悪い職人仕事は機械化され、標準化され、腕の良い職人もまた消えてゆく。 東京の下町、上野、神田、を行くと近代的なマンションや商店の並びに戦前の建物がひっそりと息を潜めている光景に出くわす。 銅をひいた緑青の壁面を持った魅力的な建物に出会うと思わずうれしくなるが、その多くは人の住んでいない抜け殻になっている。 市場の原理からは淘汰されるのに任せるほかはないのかもしれないが、一抹の寂しさを覚える。 ヨーロッパの多くの街並みは中世の塔と石畳で構成された前近代的な美しい街並みだ。 古い建物を守る為の規制が有り、住民もまた便利で快適な近代建物よりも歴史的な様式美のなかで暮らすのを選択しているのだ。 新しいものはいつでも作ることができるが、「時代のついた」ものは一度破壊したら二度と再現することはできない。 失ってはじめてその価値がわかるものが多くあるようなきがする。 この世になくていいものはたくさんある。 タバコといい、コーヒーといい、この世になくてもいいものである。 電信柱も評判が悪い。 電柱は地下に埋設すればよいかもしれないが、電柱が作っていた光景は何処にも行くことができない。 コーヒーに煙草が似合うように、見捨てられた商店街に時計屋が似合うように、なくなっていいもの同士は相性が良いきがする。 でも、考えてみればこの世になくてはならぬものなどない、とも言える。 お金、確かにこれがないと、この世になくてもいいものも買えなくなる。

JO