ホロコースト
12月、テレビでは第2次世界大戦の報道番組が多い。 なかでもナチスドイツが起こし、今も語り継がれるホロコーストの歴史。 ポーランド南部にあるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡の職員にはただ一人の日本人ガイドがいる。 今も日本人が年間2万5千人ほどが訪れ、約3時間の日本語ガイドを彼は20年以上続けている。 しかしながら彼は「部外者」としての意識が未だに変わらないそうだ。 「なぜこんな悲劇が起きたのか」という事を考える時、理由や背景があり、戦争がもたらした事を今は客観的にしかとらえられないという。 アウシュビッツにはヒトラーの写真が一枚もない。 彼一人が起こした事ではないからだ。 世界恐慌後にドイツの街角でユダヤ人に対するヘイトスピーチから始まり、10数年後には歴史が示している事態になった。 同じような状況は、今、私たちの身近にはないだろうか、と考えてしまう。 コロナ禍の今、水を得た魚のように排他的になりひとがいる一方ですごく良心的な人もいる。 大事なのは大多数の傍観者がどう振る舞うかだ。 アウシュビッツもユダヤ人が被害者でドイツ人が加害者という単純な構図で理解することはできない。 中間地点にはたくさんの傍観者がいたので。 互いの正当性を主張することを乗り越え、どうしたら繰り返さないことを考えることに繋がれば良い。 「間違っている。改めなさい」と否定してぶつかり合うまえになぜそんなことになるのだろうと、相手の真意を探ろうとすれば、歩み寄れるところが見つかるのではないだろうか。 アウシュビッツの見学でその時には答えは出なくても、その後の生活の中で「ああ、あの時に聞いたことはこういうことか」と腑におちるくらいで良い。何事も柔軟に考えられることが危機を乗り越える事に繋がるような気がする。
JO