蒸気機関車と踏切

年の瀬に故郷のある人たちは帰省をしたことと思う。 小生は何年も前から自宅で正月をのんびりと過ごす事にしている。 昔は旅行というと汽車の旅だった。 学生時代にお金ができると、ふらっと旅なるものに出たのが今は懐かしく思われる。 最近、もと国鉄マンと話す機会があった。 自分の親族も国鉄で働いていたので”国鉄”という言葉の響きが懐かしくついつい話し込んでしまった。 俳人・山口誓子の句に”春昼の踏切君と並び超ゆ”がある。 ようやく暖かくなった春の昼下がり、病気療養していた町に見舞いに来てくれた友人と近所の踏切を渡った、うれしかったという思いがこもる。 誓子は汽車好きで踏切を題材にした句がいくつもある。 踏切りは字句通り、踏み切る、つまり何かを決断し、実行する、という意味がある。 高く跳ぶジャンピングボードでもあり、いつ列車がくるか緊張する場所でもある。 そう考えると踏切は含蓄があるなあ、などと思ってしまった。 国鉄時代に機関車に永年乗務して、時には踏切事故もあったとのことだ。 しかしながら当時の機関車は重く丈夫に作られていたので車にぶつかったぐらいでは壊れなかったそうだ。 そんな踏切事故も近年は少なくなったが昔、1960年の統計によると全国で踏切が7万1000箇所もありながら、うち警報機の設置されている踏切は1割も無かったそうだ。 そして2014年には踏切の数は3万3528箇所と半減した。 踏切事故も1960年には5482件もあったが2014年には248件と20分の1以下に減った。 昔、大きな踏切には踏切警手が居て脇に小屋があったものだが今は無い。 昔、踏切は無防備が多かったのだ。 そんな事を思って踏切を徒歩で渡る時、銀色に鈍く光るレールをまたぐときは、やはり少々ドキドキする。

JO