人生は旅

「月日は百代の過害にして、行かふ年もまた旅人なり----」 江戸の俳人、松尾芭蕉の紀行「奥の細道」の書き出しだ。 また、唐の詩人、李白も「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり、しかして浮世は夢もごとし-----」と吟じている。 いずれも広大無辺な天地に比べて、限られた人生を旅になぞらえ、悠久の時間、空間と自分の存在を重ね合わせようとしているのだろう。 「旅」という言葉には起点と終点が決まっている「旅行」とは違って、終わることのない永遠性への憧れのようなものを感じる。 実は、私たち生き物は、同じ場所にとどまっていては生きながらえていくことができないように設計されているのだ。 生物が生息する環境は常に変化しており、生物はその環境に適合するように、自らを変えていかない限り生き続けることができないのだ。 一方、私たちのように「心」を持っている生物にとっては環境に慣れ親しむことが、種としての進化にブレーキを掛けてしまう事になるので時折、環境を変えて身も心もリフレッシュすることが必要になるのだ。 私たちが、ふっと旅に出たくなることの理由なのだろう。 赤ちゃんだってハイハイができるようになると、少しずつ自分の領域を広げながら、未知との遭遇を通して成長していくのだ。 これも「旅」の原型なのだ。 人はもうひとつ、心の内側に向けての旅も大切だ。 好きな事と向き合っての旅も大切だ。 好きな事と向き合う時間の中で体験できる心の旅。 日々の慌ただしさのなかで、ほんのひと時、心の旅に出ることが新しい自分との出会いに繋がり、元気が湧いてくる。 外と内に向かう旅に出ることが豊かな人生の第一歩になるのだろう。 生きるとは、自身の旅の暦を綴ることなのだろう。

追記:コロナ禍のなか、多くの人達が遠出をしている。 充分な対策を行って楽しいんでほしいもので。

JO