仏教
以前、仏教に関して少々話したが、今回は仏教の教えについて話してみよう。 ひとつの教えがある。 「聞かんよりは見るべし、見るよりは経(ふ)べし、いまだ経(へ)ずれば見るべし、いまだ見ずんば聞くべし」。 この教えは、聞くより見たほうがいいし、見るだけより経験した方がいい。 経験できない事なら、見るだけでも見ておこう。見ることができないなら、せめて見た人から聞いておこう、と解釈する。 仏教徒には大切な四つの誓いがある。
1、「衆生無辺誓願度」しゅうじゅうむへんせいがんど、 : 救わなければならない人々は限りないけれども、全ての人を救います。
2、「煩悩無尽誓願断」ぼんのうむげんせいがんだん、 : 欲望は次から次に湧いてきて止めようがないけれども、断ってしまいます。
3、「法門無量誓願学」ほうもんむりょうせいがんがく、 : お釈迦様の教えは奥が深いけれど、学び尽くさずにはおきません。
4、「仏道無上誓願成」ぶっどうむじょうせいがんじょう、 : 悟りに至る道は果てしないけれども、きっと到達します。
私などには、とても無理な話だ。 ましてや今の若い人達には仏教の教えは煙たく思われてもしかたがない。 それでも、この誓いには仏教のすばらしい考え方が表わされている。 人生とはゴールのないマラソンのようなものだ。 自分の人生だから走る方向もスピードも自由だ。 途中で休もうが、近道をしようが勝手なのだ。 しかし、いつ死によってレースを中止させられる分からない。 もし実現できる目標が人生にあったら、そこに到達した時、人々は生きることを止めてしまうのか。 仏教のこの到達できそうもない誓いは、子育てが終わっても、たとえ寝たきりになっても生きてゆかねばならない人間のために示された究極の目標なのだろう。 仏教とは、言い換えれば努力目標を高く掲げた宗教なのだ。 一着でゴールするより、完走する努力を尊ぶ。 不可能だからやらないというあきらめでなく、ダメでもともととやってみようという教えなのだ。 最後に良い諺がある。 「百折不撓」ひゃくせつふとう
JO