日韓関係

現在、最も苦慮している日本の国際関係と言ったら日韓問題であろう。 この問題、日本人としては大変難しい問題で解決策がなかなか出てこないのが現状だ。 何故、韓国の政治家はこのような考え方になるのかを考えた時、日韓の歴史を振り返る必要があると思い、少々歴史を振り返ってみた。 そもそも朝鮮は今の中国と切っても切れない縁で結ばれていた。 その中国は昔は「華」の国といっていた。 この「華」という文字、大衆食堂などで軽々しく”冷やし中華”などといえない文字なのだ。 「華」とは文明という字義で、意味が重い。 げんに中国人はみずから華人という。 他の用例としては、中華人民共和国、中華民国と国名にしている。 中華とは宇宙唯一の文明ということである。 ずいぶんな国名だが、むろんつよい屈折があっての呼称だ。 清の末期、西欧からの外圧の他に、異民族王朝に支配されているという屈辱から起ち上がって民国を起こした(1912年)人々の情念がこもっているのだ。 華が文明であるかぎり野蛮(夷)が存在しなければならない。 具体的に政治地理的にいえば華もまわりは野蛮国で囲まれてこそ華である。 中国人が世界を「華と夷}という2次元的に捉えてきたのは紀元前からだが、とくに漢の武帝(紀元前159~87年)の儒教国教化以後思想として体質化された。 華にとっては周辺の国々とは対等の関係ではなく、外交も成立せず、19世紀まで朝貢関係(貢物をする)のみが存在した。 中国の王朝は漢、隋、唐、というように一字である。 それにひきかえ周辺の蛮国は、鮮卑、東胡、回グル、渤海、新羅、日本というようにである。 華を中心に柵封(さくほう)という国際秩序があった。 例えば、14世紀末、李氏王朝になった時、李氏は明から柵封を受けた。 すなわち1392年、李威桂が王位につき、明に使いをつかわし、国号を選んでもらった。 案としては朝鮮と和寧があり、前者の朝鮮が選ばれた。 典型的な柵封のかたちといっていい。 その関係は近代ヨーロッパの概念での属国というものではなく、あくまでも儒教的宗夫の関係で、明が本家、朝鮮が分家になる。 礼の秩序であり、思想においても祭典等も朝鮮は明の礼制によっていた。李氏朝鮮は5百余年もつづく。 この間、儒教思想が高まり、中国以外の儒教国家になり、ついには中国の「中華」にたいして「小華」と称した。 日本の室町時代における「武家礼式」や「公家礼式」といった意味の礼ではなかった。 礼は国際秩序でもある。 利氏朝鮮は中国を「天朝」と呼んで尊んだ。 そしてすでに朝鮮は「小華」である以上、その徳に服従する蛮国を持たねばならない。 史氏即位の年に琉球国、北方の女真人が参朝したと記録がある。 このような”小華”の世界から見れば日本などえたいがしれない。 日本は物知らずにも独立した年号を持っていた。 7世紀初頭、日本は始めた中国の皇帝に使いを送ったと「日本書紀」と「隋書」にあり、推古天皇、聖徳太子の時期である。 唐代の一時期 日本は遣唐使を送った。 文物を吸収するためであったが、中国との間には朝貢以外に正規に交流する方法がなかったのである。 その遣唐使も平安初期に廃止し、以後日本文化はその独自性を強めたいった。12世紀末の鎌倉政府が成立してからは封建制の別個の国となった。その後、江戸時代まで儒教思想は発展したが清とは何の関係も特になかった。 その中で韓国人が今も日本を倭奴といいつずけるのは、ひとつには”小華”としての伝統的なつくりごとが深層にあってのことと考えられる。 日本は明治維新により近代化に踏み出し、隣国の朝鮮にこのことを通告したが、朝鮮は冷然に一蹴し、文書の字句が礼にかなっていない、というだけで突き返した。 これにより明治政府は征韓論が起こり、現在までの関係になっている。 ”華”の優等生であった朝鮮にあって隣国を見るは”華”としてのイデオロギーであるようだ。

JO