民主主義とコロナ禍

最近の世情は色々と難しくなってきているが一市民として現状に息どうりをおぼえている。 経済の世界は何もかもカネに換算する「ミダスの天秤」という考え方がある。 企業はコストより利益が多ければ良いという考え方だ。 かつて日本も公害を垂れ流していながら事業を推進した経緯がある。 水俣病が世界に示したさいたるものだ。 どれほど利益が見込まれようと、人間の生命や健康、地球の環境を犠牲にして経済活動を企業は行ってはならないという新しい常識が生まれた。 「ミダスの天秤」にかけてはならないというものがあるということが常識になってきた。 世界はこの常識をリストとして作ってきた。 古いものからあげると、奴隷売買、次に戦争、戦争はカネになる。 しかし、カネになるからといって戦争をしてはならない。 原発も現状から見ればリストにのるだろう。 奴隷、戦争、公害、原発等。 ではリストを決めるのは誰か。 西洋風にいえば人間の理性、東洋風に言えば天地の道理。 その道理を通すのが政治である。 はたして現在の日本の政治は道理を通しているのだろうか。 昨年の春「コロナの共生」がいわれはじめたとき、これからはコロナウイルスの存在を前提として人の生活や文化をかえてゆくのだと多くの人は思ったはずだ。 ところが政治のとった方針は経済を回しながらコロナ対策をとるということだったが、いつのまにか「経済優先」にすり替えられ、「Go to Travel」、「Go to eat」という見当違いな政策が出され感染爆発を招いてしまった。 政府は人の命と経済を天秤にかけて経済を選んだことになる。 コロナ感染症は生命と健康を損なう。 経済以前の問題である。 政治は道理を通さなかったことになる。 自分がウソをつくだけでなく、官僚や秘書にもウソをつかせる。 現役の大臣が賄賂を大臣室で受け取る。 こんな人物を有権者はなぜ選ぶのか。 初期の民主主義は良識の上に成り立っていたが、20世紀に入ると有権者が拡大、良識の上に成り立っていた民主主義は大衆迎合政治(ポピュリズム)となってきている。 最近の際たるものはアメリカのトランプ支持者が国会議事堂を選挙した出来事だ。

JO