過保護、過干渉にならないために

週末、4か月ぶりに幼児と過ごした。 親がコロナ感染したので少々長いこと会わずにいた。 5歳と3歳では忘れられたか少々心配だったが心配無用であった。 脳科学によれば、子供の脳はハードとしての機能は完成しているがソフトだけが完成途中にあり、成長するにしたがって不要な能力を捨てていくのだそうだ。 例えば、絶対音感。 幼少期にはすでに整っており、成長してその機能が残ったままでと日常生活の中で音の認知過敏が精神疲弊をもたらすので徐々にその機能を捨てていくのだそうだ。 子供は大人にはない能力をたくさん持って生まれてくるというのだ。 遊びの中でも子供達は豊かな発想の中で遊んでいるのだろう。 大人から見れば無駄としか思えない発想も、子供からすればまさにファンタジーなのだ。 この無駄が的確な知識の習得には不可欠。 例えば、ひとつの常識の意味をインターネットで調べるより、辞書で回り道をして目的の単語の意味にたどり着いたほうが記憶の定着が大きいことが実験でも確かめられているのだ。 そのような意味からすれば〝ダメ〝、〝アブナイ〝、〝ナゼ、デキナイノ〝、などの連発で無駄を省こうとする教育こそが過保護、過干渉の典型だということになる。しつけや危険回避のための教育は必要だが、これが過ぎると成長してからのネガティブ思考の温床となる。 人は自分の信条を否定されると逆に固執したくなる。 だから共感が必要で「なぜ?」と相手を問い詰めないことが必要だ。 松下幸之助翁は「それで?」と問い、新しい発想の機会を作っていたのを思い出す。

JO