里帰りの桜
関東もそろそろ桜のシーズンが終わりに近ずいている。 日本人の大好きな桜を世界に紹介した米国人女性がいたことを御存知のかたも多いと思う。 ”エリザ・ルアマー・シドモア” 彼女は1856(安政3)年アイオア州クリントンに生まれ、ワシントンで新聞記者をした後、世界を旅行し、各地を紹介する寄稿等を行なっていた。 1884(明治17)年に28歳で初めて来日した。 兄が外交官として横浜に在住していた為、度々日本を訪れ、東京から関東一円に限らず東海、関西、瀬戸内、更に九州まで足を運んで外国人女性としての繊細な目で見た日本を紹介した。 著書に「日本・人力車旅情」 「シドモア日本紀行、明治人力車ツアー」 がある。 その中でも、最も彼女を魅了したのが、徳川吉宗によって植えられた”向島の桜並木”だった。 春になると、人々が隅田川沿いの桜を楽しむ光景が目に焼き付いていたのだろう。 1909(明治42)年、シドモアは52歳でワシントンでは著名な作家となっていた。 当時のワシントンは首都としての都市計画が完成したばかりで、ポトマック河畔は殺風景で、これを見たシドモアはタフト大統領夫人のヘレンに日本の桜を移植し、東京の隅田川の様な桜並木にすることを提案し、計画が進み始めた。 打診された当時の東京市は桜の苗木2,000本を1909(明治42)年11月に横浜からシアトルにむけて送られ、アメリカを横断してワシントンに着いたのは翌年1910(明治43)年1月のことだった。 ところが、この苗木に害虫が発見され、2,000本全てが焼却処分されてしまった。 しかし、東京市は再寄贈を決め、専門家、学者の協力のもと準備が進められ1912(明治45)年3月に3,000本の桜がワシントンに到着した。 3月27日に植樹式が行われ、そこにはシドモアの姿もあった。 シドモアが向島の桜並木に魅せられてから実に28年後のことであった。 このポトマック河畔の桜には多くの人々の協力があったから実現できたと聞く。 その後、シドモアは1925(大正14)年に米国議会が人種差別的な「排日移民制限法」を通過させた事から米国を離れスイスのジュネーブに移住し、1928(昭和3)年に72歳で亡くなった。 その遺灰は日本政府の計らいで母と兄が眠る横浜の外国人墓地に埋葬されている。 墓の横には「日本の桜を愛した女性ここに眠る」と記された顕彰碑がある。 1991(平成3)年、ワシントンから桜の苗木5本が里帰りし、横浜外国人墓地に植えられた。 その後、2001(平成13)年からは、シドモア桜から接ぎ木して作った苗木を植樹する活動が始まり、本牧や元町、緑区の鴨居、川和駅前などに広がった。 その後、全国に植樹がすすめられ、富山県高岡市、石川県金沢市、静岡市、更には震災地の福島、宮城、岩手県でも植樹が行われている。 身近では日吉の丘公園、大倉山記念館前にも植樹されている。
JO