AIへの憂い

ラジオである大学教授が学生論文提出結果を見て愕然としたとの放送があった。 それは論文の課題に対して学生からの論文内容が皆同じであったそうだ。 論文作成に当たってはAIの使用を許可していたので教授はためしに自分でAIを使用して結果を出したところ学生達と同じ回答になって愕然としたのだ。 われわれの時代とは限らず論文をまとめる作業とは苦労して自分で調査、考察して作成するのが目的なのだがAIはその考察する力を削ぐものとなっているようだ。 パスカルは「人間は考える葦である」と言っている。 AIは使い方で非常に有用だが、使い方次第では有害となりうることが判明した事例ではないだろうか。 現在は世界が画一化やグローバル化によって人類から「きらめき」や「ひらめき」を奪いつつあるのではないだろうか。 このことは進化論のダーウインが強調した”生命の原理は多様性に有り”からは後退する行いなのだ。 人間とは多様性こそが最大の特長なのだからAIは使い方次第では思考の画一化を促進させうるものと憂う次第なのだ。 哲学の先生から教えられた言葉を思い出す。 『自分がきらめく瞬間をとらえ、それを忘れずに持ち続けなさい。 そして何かがひらめくのを待つこと。 そのプロセスが哲学なのだから。』 

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