拉致事件

2002年10月15日、北朝鮮に拉致された蓮池夫妻ら5人が羽田空港に帰ってきた。到着した飛行機からタラップを降りてくる被害者の姿がとても印象的で忘れる事が出来ない。そして私も拉致されていたかもしれないという事を知ったのは後の事である。

1978年8月6日、高校1年の夏休み、私は九州を目指し鉄道の旅に出た。ワイド周遊券を使い途中は全て野宿もしくは夜行電車の車中泊。五木寛之の小説「青年は荒野を目指す」を真似した旅だった。

横浜から在来線各駅停車を乗り継ぎ車中泊を繰り返し、横浜から一番遠い鹿児島に着いたのは8日午前であった。列車内で知り合った地元の人に夕日が素晴らしいという話を聞き吹上浜まで行った。

夏の夕日に間に合った事を考えると夜7時ごろだったと思う。確かに素晴らしい夕日だったが、男の一人旅にとってロマンチックなものを感じることはできなかった。その日の晩は夕日を眺めた吹上浜海浜公園の中の小高い丘にある東屋の休憩所で野宿することにした。

休憩所のベンチに寝袋を枕にして寝ていた時である。とてつもなく大きなエンジン音を響かせ暴走族らしい連中が駐車場に集まってきていた。駐車場からは丘の上にある休憩所は良く見えないらしい。私は彼らが立ち去るまで寝袋を頭からかぶり恐怖と闘っているうちに眠ってしまった。8月9日5時ごろ、波の音で目が覚めると、朝の冷たい空気が肌に触れとても気持ちが良かった。

その3日後、1978年8月12日。同じ吹上浜で市川修一さん増元るみ子さんの二人が工作員によって拉致され北朝鮮へ連行された。その事実を知ったのは25年後の事である。

失踪者リストによると、二人は「浜に夕日を見に行く」と言って出掛けたまま姿を消した。私が夕日を眺めた東屋のベンチに二人肩を寄せ合い夕日を見ていたのかもしれない。私には単なる綺麗な夕日だったが、カップル二人には愛を語り合う特別な夕日だったに違いない。二人を拉致した工作員は何日か前から下見をしていたという。彼らの目に私は写っていたのであろうか。私でなく増元さんを選んだ理由は何だったのだろうか。失踪者リストの中の市川さん増元さんの顔写真が自分に置き換わっていることを想像すると身の毛がよだつ思いである。  田代