夏目漱石

朝夕やっと秋らしくなってきた。 秋を比喩する言葉は色々あるが”読書の秋“が自分には一番落ち着く響きがある。 なかでも夏目漱石、本名:夏目金之助は慶応3年(1867)に江戸牛込馬場下横町(現在の新宿区喜久井町)の名主の家に生まれたが翌年の江戸の混乱と実家の没落しつつあったことから生後4ヶ月で里子に出された。 しかしながらすぐに1歳で父親の友人であった塩原家に養子となった。 その後、9歳のときに塩原夫妻の離婚により夏目家に戻ったが21歳まで復籍さなかった。 漱石は17歳で大学予備部門に入学、ここで後に色々な影響を受ける正岡子規と出会い、友情を深めることになった。 23歳で東京帝大英文科に入学し秀才で特待生に選ばれている。 卒業後、東京高等師範学校を経て明治28年、松山の尋常中学に赴任。 帰郷していた正岡子規と俳句に精進、翌年、熊本に高等学校講師として赴任し、結婚もした。 33歳の時文部省から英語研究の為、英国留学を命じられ渡英。 勤勉に励んでいたが神経衰弱に陥り、明治36年に帰国。 東京帝大英文科講師となるが神経衰弱を再発。 そんな状況の中すすめられて小説を書くようになり、「吾輩は猫である」を発表。 その後「倫敦島」、「坊ちゃん」を発表。 40歳で教職を辞めて執筆活動を始める。 その後、数々の作品を残し、大正5年(1916)49歳のとき「明暗」を執筆中に胃潰瘍をさいはつして生涯を閉じた。 漱石の名の由来は中国の故事に基づく。 「沈石漱水」という詩がある。 「流れの水で漱(くちすす)ぎ、石に枕す」と読み、「俗世から離れて、川の流れで口をすすぎ、石を枕として眠るような引退生活を送りたい」という意味だ。 だが、この詩には裏が有り、晋の時代の孫楚というひとが語順を間違えて読み、取り繕う為に負け惜しみを言った事から頑固者という意味で使われることがある。 自分のことを変え者と思っていた漱石はこれをペンネームにしたと言われている。

「吾輩は猫である」 : 苦紗弥先生の家の迷い猫目線から見た人間社会を綴る

「それから」 : 情念に引きずられ友人の妻に恋慕をよせる人間的苦苦境

「夢十夜」 : 「こんな夢を見た」の書き出しで印象的な10篇の短編集

「三四郎」 : 愛そうとして、愛されようとして得られない複雑な愛

「彼岸過迄」 : 愛しながらも恐れている須永と、それに苛立ちながらも惹かれる千代子

「門」    : 罪を犯して手にいれた愛だが犯した罪はどこまでも追ってくる

「こころ」  : 親友と同じ人を好きになったことから絶望の人生がはじまる

「坊ちゃん」 : 新任で松山の中学に就いた青年が反発して東京に戻る

「草枕」   : 智と働けば角が立つ、情に棹させば流される。俗世から離れようと旅をして山中の温泉で邦美に会う

「二百十日」 : 卑俗な世相をひはんし、人情の世界への転機を示す

松山や熊本で暮らした日々の経験をベースに書かれている物語が多い事に気が付いた。 さて秋の夜長、貴方はどれから読みますか。

JO