季節と共に生きる
今年の夏は台風による雨風で湿度も高く、戦々恐々としながら過ごした。 その季節も今は昔。 凛と乾いた空気をすうっと吸い込んで冷たい新鮮な空気を肺に満たす心地良さにほっと胸をなでおろす、そんな季節がやってきた。 次第に寒さが歩み寄ってきて北国育ちのものにとっては嬉しい季節のはじまりである。 空気も乾燥していたはずなのだけれど、そのわずかな変化を感じるのは意外と難しい。 遠くに見える山々の色も変わり、道路に落ちた葉がカサカサと音を立てる。 葉を落とした大木の枝間から葉の茂る夏には見えなかった景色が向う側に広がっている。 こうした誰の目にも明らかなほど景色が変わり、肌に冷たい空気が触れるようになって、はじめて乾いてきたなあと気付くことが多い。 季節には耳を澄ませているはずなのに目に見えない季節感を感じるとるのは意外に難しい。 難しいから気付いたときには声を出したくなるような気分になる。 それにしても最近は季節感を体感ではなく、室内の湿度計であったり、気象アプリの数値で知る事が多くなった事に気づいたが、不思議と今ひとつ体感にそぐわない。 ただ台風などの時」、人知の届かぬところを機械に担ってもらえるのは有り難い。 ところが身近なところを何から何まで機械に頼れば便利な一方で元々は働き難くかった感覚を眠らせることになるのは明らかだ。 悲しみを含めて、喜びや満たされた思いは、感覚でできているのだから、その感覚を眠らせると失うものがある様な気がする。 便利さに埋もれていれば何とでもなるような気がするが、なんとか気にとめていたい事だと思う。年中行事も節目を迎えて、クリスマス、大晦日、お正月と一年の大詰めがやってくる。 今年は感覚をよくはたらかせて、意識的に年末年始の季節感を味わってみたい。 目覚ましい発展を遂げるテクノロジーだが、未だ敵わぬという人間の間隔。 本当の眠りが訪れるまで与えられた感覚を存分に動かし、季節と共に生きることが出来たらと思う。
JO